2010年08月31日

エフェス(エフェソス) #02 野外円形大劇場_ステージを横切る女性たち  セルチュク/トルコ


野外円形劇場のステージ側より客席方向を見る  4人の女性達がステージ中央を
ファッションショーの如く横切った


この劇場は24,000人収容可能との事。我々は客席に座ることはあっても、ステージ
に立ち、24,000人からの注目を浴びた経験のある人はそう多くはいないであろう。円
形劇場はその形が、ほぼ中心が1点の純粋な円弧状に客席が広がっており、視線は
自然にその円弧の中心であるステージに釘付け状態である。

何かこの形は人間を興奮状態に導く力を秘めているのではあるまいか。客席からひと
しきりステージを眺めた後は、そっと今度はステージに立ち、客席側を見てみたいと思う
ことは至極自然な感情であろう。見学の為の拝観料は確か払ったはずだし、ステージに
上がってはいけないという案内も見かけなかったはずである。ただひっきりなしに客席に
は観光客がいるので、少々恥ずかしいという思いが無いわけではない。

しかしせっかくの機会である、見ないで帰るわけにはゆくまい。このステージに立ち、24,
000人を魅了するパフォーマンスが出来たなら、それはさぞかし素晴らしい経験であろう。
私にはそんな才はないので、想像をしてみるだけで全く実感は湧かない。仮にそんな喝采
を受ける事があったとしたら、これは平常心でいられなくなるのではないかと、心配になっ
たりもする。

いずれにしても、人間賛歌の為には効果的な施設ではないだろうかと感じた。

posted by pao at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築旅日記_トルコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月30日

エフェス(エフェソス) #01 野外円形大劇場_客席より  セルチュク/トルコ


野外円形大劇場_客席上段よりの眺め  ステージ右側より上部に向かって一直線に伸び
ているのがアルカディアン通りである。この通りの先には、かつて港があったという。


何とも壮大で良い眺めである。ステージで何か演じられていなくても、ここに座り眺める
価値がある。人間の感情に率直に響いてくるような力がある。小さな子供にも喜ばれそう
である。

これらは神秘的というようなものではなく、分かりやすい人間賛歌であり、自然をキャン
バスにすることによって人間の英知とその力の大きさを、自然と対比させることで、一層
鮮明に見る者に強く印象付ける。

この通りは、自然の形状に合せるなどして曲がっていてはいけないのである。ある目的
と合理性を持って、強い人間の力と意思の象徴として、目的地である港に向かって、最
短で一直線に伸びて行く必要があったのであろう。

この何とも言えないおおらかさが、古代ローマ遺跡の魅力であろう。

posted by pao at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築旅日記_トルコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

日本の古典建築探訪_時雨亭#03_外観  高台寺/京都


時雨亭北面の様子  右端に見えているのが傘亭につながる
土間廊下であり、床の飛び石は小堀遠州好みと伝えられ、
意表をつくデザインである。土間廊下の突き当たりに見えて
いる階段を上ると主要な部屋がある2階である。


農家などの民家そのものと、その風情を取り入れた草庵風な茶屋とは、見た目にはあま
り目立たないかもしれないが、中身は多くの点で異なる。民家の場合、地元で伐採した
木材を必要最低限の加工で使用する。一般的には柱や梁は、太くて強度、耐久性の高い
木材が選ばれる。屋根などを形作る骨組の組み立て方は、建物の安全性・耐久性・作業
性=経済性等が最も最優先に考えられている。つまり、それらには理由があり、理屈、道
理に全て適っていると言っても言い過ぎではないだろう。それ故に長く日本の山里の風景
となるまで に普及したのであろう。

傘亭・時雨亭は自然と調和する草庵風な趣ではあるが、山里に見られる民家などと最も大
きく異なる点は、木材の太さと骨組の組み立て方であろう。 傘亭・時雨亭に使用されている
木材は、径が細く、民家の方は太い。その結果、民家などは柱、梁が太く、がっしりと堂々と
している。それに対し草庵風は、柱、梁の木材は最小限に細く、屋根などを形作る骨組の組
み立て方は、出来るだけ簡素で開放的な空間としたいが為に、使用している木材などは最小
限に少なくなっている。

傘亭の屋根は、部屋中央上部に、けして十分な太さとは呼べない1本の丸太の梁が掛かり、
その中央に、宝形造りの屋根の一番高い中央の一点を支える、これも十分な太さとは呼べ
ない1本の丸太の束が立っている。この束は枝がそのまま付いていて、野山に落ちていた
枯れ枝を、そのままチョコンと取り付けたかのようであり、いかにも頼りなさそうに見える。屋
根を形作る骨組は見える限りではこれだけである。
パッと見て、「これで持つのか?」、「屋根の持たせ方はこれで良いのか?」と疑問しきりで
あり、不思議な光景ですらある。以前にも書いたが、このインパクトこそが、秀吉の狙いの
ひとつでもあろう。一般的な理屈や道理には合わないように思われる。よほど熟練した高い
技術が込められているのであろう。

草庵風な作り方の方が、簡素で慎ましやかに見えるが、高い技術や良質な木材などを必要
とし、一般的には高価である。

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。