2011年06月28日

古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #03 違い棚と付書院      慈照寺(銀閣寺)/京都


同仁斎の違い棚と付書院を見る


同仁斎などは、当時高まりを見せていた東山文化の流れの中に位置付けられようである。そし
て、その源流をたどれば、それは禅思想だという。

禅のキーワードとして、「華美を抑制し、全てを象徴化した庭園である、枯山水」、「簡素を美とし
て認める文化」等が浮かび上がる。

それらについて、具体的なものとして、見せてくれたのが、禅僧たちであるという。庭園の夢想
疎石(むそうそせき、国師)、詩人・思想(とんち?)の一休、水墨画の雪舟等である。
茶道や華道なども、その原点は、このあたりにあるようだ。その事は現代の我々にも直感的に、
日本人の美意識の源流がこのあたりから来ていそうだと、感じさせる説得力がある。東山文化・
禅思想とは、今後、注意深く考えてみるテーマであろうと、今更ながら改めて思いを強くした。


2011年06月24日

古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #02 付書院           慈照寺(銀閣寺)/京都


同仁斎の付(つけ)書院方向を見る    付書院の左側が違い棚で、右側は先の#01の障子
戸で、縁側、庭園と外に連なってゆく。


付書院とは、そこで書物を読み書きする、机状の板と明り取りの障子を備えたもので、部屋より
張り出して作られたものである。

付書院は後に、実の用途より装飾的な意味合いが強くなり、机状の奥行き(張り出し)を持たな
い、腰小壁と明り取りの障子のみの平(ひら)書院となる事が多くなった。

しかし、その場合であっても、明り取りの障子の前に文机などを置けば、その本来の用途は達
成されよう。


2011年06月22日

古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #01 縁側と庭園        慈照寺(銀閣寺)/京都


同仁斎の室内より縁側、庭園方向を見る


4畳半の書院、同仁斎(どうじんさい)は慈照寺(通称銀閣寺)内にある、持仏堂である東求堂
(とうぐどう、1486年建立)内の一室である。この同仁斎は現代にまで続く、日本の住宅のあ
る意味基本とされてきた、書院造りの原型とも、更には、茶室4畳半の原型とも考えられてい
る。千利休が待庵を作ったのは、1580年頃と考えられているので、それより約100年近く前
の事となる。

今現在見てもそう違和感なく、よい一室と感じられるし、私としては、現代で言うところの書斎
の原点のように思われ、空間的にも、あるいは意味合い的にも興味をひかれる。

銀閣寺一帯は、足利義政最晩年の邸宅(東山殿)の一部と考えられている。一般的に「銀閣」
とよばれる2層の建物は観音殿であり、こちらは格調高い正式な接客施設であろう。それに対
して、東求堂は、別棟(離れ)であり、用途は持仏堂である。同仁斎は、この4方に縁を回した、
正方形な平面をしている、東求堂の北東角隅に位置している。

離れという少し世俗と区別をつけた空間で、持仏堂で手を合わせ、心を静めつつ、ついでに隅
の小室(同仁斎)で調べ物や書き物をしたいというような、願望、美意識があるように、私は想
像してしまう。


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