2013年05月27日

ギザ #02 スフィンクスとピラミッド                 カイロ近郊/エジプト


東側(ナイル河の方向)より、スフィンクスとピラミッドを見る。   中央右寄りが第2ピラミッド
(カフラー王)、左側奥が最も小ぶりなメンカウラー王の第3ピラミッドである。


私は、ピラミッドとスフィンクスとの関係に興味を持った。上の絵はナイル河の方向(東側)より、
スフィンクスとピラミッドを見たものである。スフィンクスの前に崩れた石積みが見えるが、これ
は資料によると、ナイル河のほとりに建てられていた、流域神殿(御影石の神殿)と呼ばれるも
のの一部と思われる。

そして、かつてはこの流域神殿より、ピラミッドに向かいほぼ一直線に、長さ約500m程の廊下
(通路・参道)が延びて、ピラミッドの前に造られていた葬祭殿につながっていたという。
(これらは現在原形をとどめていない)
スフィンクスはその流域神殿のそばに護衛するかのように寄り添い、穏やかな眼差しで遠くを
見つめ建っている。そして、おそらくその眼差しはナイル河を行き交う人々に向けられていたの
であろう。それはここが神聖なファラオの領域への入口であることを知らしめる為の目印やサ
インのような役割があろう。
こういったピラミッドを中心とした全体の構成やそこに込めた思いは、我々日本人が現在見て
も伝わってくるものがある。

このことを知った時、私は、これは日本においては神社仏閣等の入口付近で見る「こま犬」で
あり、入口の門の両側に安置されている「仁王像」であろうと思った。
思えば、我々はこま犬や仁王像を目にし、そこが寺社だと知り、その前を恐る恐る通り、概ね
直線の長い参道を進み、拝殿の前に導かれるのである。

これがギリシャやローマ等に伝わると、このスフィンクス的なものが、翼を持つ像に変化した
という。

そのように考えた時、エジプト文明は砂漠の文明で、我々とはあまり関係が無いのではない
かという、先入観のような思いがあったが、これらは人類史的には最古の文明であり、我々が
日本的と思っているものの元の元は、実はこのあたりに出発点があるケースも多いのではな
いかと改めて気が付いた。
アフリカ大陸の文明が、多少親しみを感じる方向へ変わったように思う。


―エジプト考古学博物館にて―
これは第3ピラミッド(メンカウラー王)複合体の復元模型と
思われる。
手前にナイル河が表現されている。
流域神殿の右側に隆起したようなところがあるが、このあた
りがスフィンクスの位置と思われるが、はっきりとは表現さ
れていない。
上記絵のスフィンクスは、大スフィンクスとも呼ばれ、有名
なものであるが、第2ピラミッド(カフラー王)複合体に属す
るものと考えられているようである。

ラベル:ギザ
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2013年05月20日

ギザ #01 ピラミッド                         カイロ近郊/エジプト


南側よりピラミッド群を見る  右奥より第1ピラミッド(クフ王)、つづいて、正面が第2ピラミッド
(カフラー王)、そして、左側手前には見えてはいないが、最も小ぶりなメンカウラー王の第3ピ
ラミッドと3基が雁行状に連なっている。


エジプトと言えば、まずはピラミッドであろう。とにかく一度は見ておきたいと思っていた。
カイロ市街よりバスに乗りギザへ向う。バスは40分以上走った。車窓から見える風景は、ビル
が多く、デザイン的にはさして興味を引くものは無かった。その全体的な色調は、薄茶(土色)系
の建物がほとんどであった。砂塵が舞っているのであろう、遠くの風景はうっすらと黄ばみ霞ん
で見えた。

バスを降りるとすぐに最初の一番大きなクフ王の第1ピラミッドが目に入る。高さは150m近く
あるというが、驚くほど大きなものではない。砂漠の真中にあると思っていたが、すぐ近くまで
市街が迫り、ビルが見えたりもする。つまりピラミッドは陸の孤島のような砂漠の真中に在るの
ではなく、ナイル河のほとりに、人々の生活と共に存在して来たのである。

造られた当時、紀元前2500年頃はおそらくナイル河から見れば、樹木の緑の上からピラミッド
の三角錐が見えていたのであろう。


ラベル:ギザ
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2013年05月06日

古典建築探訪_龍安寺 石庭の秘密 #03 少ない対称物に求められる高いデザイン性  右京区/京都市


方丈広縁より、石庭に5組ある石組のひとつと背景となる築地塀を見る。
この塀は土に菜種油を混ぜ、強度を高めたもので、この色もそのことに因るようである。
(絵は#02と入れ替えました)


龍安寺の石庭が他と違って、いつまでも鮮明に心に残るのは、この簡素さ・
シンプルさの為であろう。
この表現にどの様に至ったかは、詳細は明らかではないようである。

とにかく、しばしたたずみ、自然とボッと見入ってしまうのである。
特に謎解きや、定まった見所があるわけではないので、こちらも取り立てて
構える必要がない。あれこれ見逃すまいと忙しく、視線を走らせる必要もない。
近くに行くことがあれば、また立ち寄ってみたいと思ったりもする。

抽象画のような性格なのであろう。しばしの間、現実を忘れ、抽象的とも言えるであ
ろう、その禅の世界で満たされた空間の中に身を置けるのが、心地よいのである。

抽象画等もそうであろうが、その構成、バランス、色使いなどに、特に優れた
デザインセンスが必要であろう。このような石庭の場合、成長の早い樹木等は、
景色の構成・バランス等に影響するので避け、長期にわたり変化しない石や砂、
苔類などが好まれるのだという。

最後に、この石庭の重要な背景とも言える、黄色土の築地塀についても忘れる
ことはできない。
大海に力強く点在している島々の視線の先に、あかね色の夕焼けの空が見えて
いるようで、視線を白砂と石組の方へ押し戻す(下げる)力があり、石庭全体を
際立たせ、引き締めている、実は影の大切な功労者である。


ラベル:京都 東山文化
posted by pao at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築探訪_龍安寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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