2011年07月01日

古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #04 東求堂外観       慈照寺(銀閣寺)/京都


東求堂の南東面を見る  南面(左面)中央の両開き戸が持仏堂の入り口であり、同仁斎は、
北東(右面奥)の角隅にある。


東求堂(とうぐどう)は足利義政の東山殿の一部として1486年、持仏堂として建てられた。
入母屋造り、檜皮葺、平面は3間半(6.9m)×3間半(6.9m)、書院造り初期の建物で国宝
に指定されている。


2011年06月28日

古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #03 違い棚と付書院      慈照寺(銀閣寺)/京都


同仁斎の違い棚と付書院を見る


同仁斎などは、当時高まりを見せていた東山文化の流れの中に位置付けられようである。そし
て、その源流をたどれば、それは禅思想だという。

禅のキーワードとして、「華美を抑制し、全てを象徴化した庭園である、枯山水」、「簡素を美とし
て認める文化」等が浮かび上がる。

それらについて、具体的なものとして、見せてくれたのが、禅僧たちであるという。庭園の夢想
疎石(むそうそせき、国師)、詩人・思想(とんち?)の一休、水墨画の雪舟等である。
茶道や華道なども、その原点は、このあたりにあるようだ。その事は現代の我々にも直感的に、
日本人の美意識の源流がこのあたりから来ていそうだと、感じさせる説得力がある。東山文化・
禅思想とは、今後、注意深く考えてみるテーマであろうと、今更ながら改めて思いを強くした。


2011年06月24日

古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #02 付書院           慈照寺(銀閣寺)/京都


同仁斎の付(つけ)書院方向を見る    付書院の左側が違い棚で、右側は先の#01の障子
戸で、縁側、庭園と外に連なってゆく。


付書院とは、そこで書物を読み書きする、机状の板と明り取りの障子を備えたもので、部屋より
張り出して作られたものである。

付書院は後に、実の用途より装飾的な意味合いが強くなり、机状の奥行き(張り出し)を持たな
い、腰小壁と明り取りの障子のみの平(ひら)書院となる事が多くなった。

しかし、その場合であっても、明り取りの障子の前に文机などを置けば、その本来の用途は達
成されよう。


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