2013年07月29日

カルナック神殿 #02 大列柱の柱頭デザイン           ルクソール/エジプト


カルナック神殿(アメン大神殿)の大列柱室の見上げ    植物が葉を広げたような円形の柱
頭が連続して見える。

ここの特徴は大変な数にのぼるその列柱群(全体で134本)であろう。特にその柱頭のデザイ
ンは他に例を見ないものである。平面的には柱の占める面積のほうが、残りの空間よりも大き
いのではないかと思える程であった。柱が荷重を支えるという役割以上に、もっと違ったものと
して捉えているように感じた。

例えばニョキニョキと生える熱帯植物を抽象化した感じでもあった。柱と柱の間に人間の立像
(それもかなり巨人)を配置しているのも、人工物である列柱群が作り出す空間をより自然界に
近づける意図があるように感じた。

このアメン大神殿の中央には、東西方向に一直線の軸線が見て取れる。その西の先は、神殿
を出て、ナイル河のかつての埠頭に至る。東の先は、神殿の中心施設、至聖室、トトメス3世の
祝祭殿などに続いている。その軸線(参道)の中で、この大列柱室は、最も人々を感動させる中
心的な空間であろう。
この見上げた、柱頭の円形の連なりは、やはり相当に意図されたものであろうと感じた。

これらは並木道の高い街路樹であり、参道のイメージでもあった。それらが非常にやわらかく、
柔軟でイマジネーションに富むものであった事は、周囲の砂漠と対照的で驚いた。こういった自
由で率直な表現のものを見ると、ルネッサンス以降のオーダーに縛られ、支配された建物たちが
とても不自由で堅苦しく、つまらないものに思えてくる。

建築がその根本に秘めている、感情なり、思いのほとばしるような率直な表現が持つ、力強さ・説
得力のようなものを感じた。
作り手の顔が見えるような気がしてくるのである。


ラベル:ルクソール
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2013年07月22日

カルナック神殿 #01 大列柱室                   ルクソール/エジプト


カルナック神殿(アメン大神殿)の大列柱室を見る    この中央の特別な通路は、この先の
至聖室、トトメス3世の祝祭殿などに続く、言ってみれば参道的な性格のものである。

ルクソールは、かつてテーベと呼ばれ、中王国、新王国時代には首都として栄えたところである。

カルナック神殿という呼び名は、主には、この最も大規模なアメン大神殿とその南側のムトの
神殿などからなる複数の神殿群の総称(カルナック神殿複合体)である。

アメン大神殿の大列柱群の作り出す空間はとても印象深いものである。我々が室とか空間と
言うと、それはひとまとまりの壁などで囲われた部分をイメージするが、ここでは、室内の空間
の約40%程度を柱が占めているのである。
柱にはそれぞれエジプト文字が彫られ、形も根元でくびれた丸みをおびていて、更に、天井も
高いので圧迫感はなく、高い樹木が林立する深い森の中に入るような安堵感さえする。
柱があまりにも巨大なため(中央通路部分の12本の柱の直径は3m以上あるとのこと)、一度
にその空間を見通すことができないため、大空間の中に入るという感覚と同時に、柱によって遮
られた、プライベートな空間の中に入るという安心感のようなものもある。

中央通路の両側の大列柱の柱頭は、上に大きく開いた形をしているが、それが連続する様は、
とても楽しいものである。そして、天井がとても高いので、清々しくさえ感じる。やはりこれは、気
候的には亜熱帯に近いものであろうが、日差しを遮る、清々しい森への憧れが、これらのデザイ
ンの根底にあるのではないだろうか。

アメン大神殿の大列柱室は、第19王朝、セティ1世(紀元前1294〜1279年頃)とその息子ラ
ムセス2世(紀元前1279〜1213年頃)によって完成した。
この柱は、高さが約23m(中央の12本)と、約15m(両側の122本)の2種類の巨大な柱が
134本立ち並んでいる。


ラベル:ルクソール
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2013年06月10日

断崖を背にして建つハトシェプスト女王葬祭殿           ルクソール/エジプト


ハトシェプスト女王葬祭殿正面を見る    中央斜路部分に一直線の軸線が見て取れる


この場所には、このハトシェプスト女王葬祭殿(第18王朝、紀元前1501〜1480年頃)とその
すぐ左隣に、ほとんど原形をとどめていないが、メントヘテブU世・V世葬祭殿(第11王朝、
元前2052〜1991年頃)が2つ隣りあって造られている。

この崖を背にした環境(ロケーション)を見た時、率直に心に響いてくるこの場所のパワーのよ
うなものを感じた。つまり、聖域とでも呼べそうなオーラを発しているのである。
高く険しい断崖が屏風のように目の前に立ちはだかり、そしてそれは、緩やかに湾曲しており、
包み込むかのように我々を向い入れてくれる。

このように、自然の環境にいだかれる(包まれる・守られる)というような感覚と同時に、視覚的な
風景として、断崖絶壁がこのように効果的に用いられている例は他にも多く存在する。

日本であれば私が最初に思い付くのは、オーバーハングした崖の窪みに、張り付くように建て
られている、三徳山三仏寺投入堂(鳥取県)であろう。トルコのトラブゾンにある、スメラ僧院
断崖の窪みを利用して、いだかれるように建てられている。
それぞれがみな、風景としてハッと息を呑み込む力を秘めている。

これらの場合、建築物単体の力と、自然物の力がお互いの相乗効果で風景としての魅力を高
め合うことに成功している。これはかなり高度な手法と言えるだろうし、ありのままの自然を活用
するという点で、ある意味エコであり、歓迎されることであろう。

その環境(ロケーション)に神聖なものを感じ取り、平地よりははるかに不便であろうが、この地
と定め、苦労もいとわず、造り込もうとする人間の性質(本性)は、年代と地域を超えて人間に
共通してあるのであろう。あるいは、このハトシェプスト女王葬祭殿のこの効果的な見せ方が
評判となり、長い年月を掛けて広く伝わったとも考えられよう。

そうなのである、ここエジプトは何と言っても歴史が古いのである。物事の起源をたどれば、
ここが源流ではと思わせるものも多い所である。


posted by pao at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築旅日記_エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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